旅記録2 チェコ クトナー・ホラ ― 2013/03/08 09:32
(動画編集です)
チェコのプラハから電車で1時間ちょいのクトナー・ホラ。
かつては銀鉱山の町として栄えたようです。
プラハと違い観光客も少なく牧歌的な雰囲気。
絵になる空間が一杯でした!
2007.03
かつては銀鉱山の町として栄えたようです。
プラハと違い観光客も少なく牧歌的な雰囲気。
絵になる空間が一杯でした!
2007.03
旅記録1 ― 2013/02/17 12:13
職業柄、旅は創造の源と、数々の都市や建築のおかげで建築家としての今日があります。今尚、「あの路地を曲がれば中庭広場に、、、」と、各都市のイメージは残っているものの、イメージは昨日のように鮮明ですが、「いつだったけ?」と、思うと、あっという間に実際はもう遠い昔となったようです。
少し、記憶を記録として遡って整理しようと思っています。
現在UP中(国クリックでリンクします)
2012.08 Turkey

2012.08 Egypt

2007.03 Czech praha
つづく!、、、随時更新!
Oct.04 フィンランド:ヘルシンキ、オタニエミ、ポルボー
スエーデン:ストックホルム
デンマーク:コペンハーゲン
Jul.00 ロシア:モスクワ
オーストリア:ウィーン
Aug.97 シンガポール
マレーシア
Oct.94 中国:上海、蘇州、杭州
香港
Sep.93 アメリカ:ニューヨーク、サンフランシスコ
Oct.93 フランス:パリ
Jun.87 台湾:台北
Aug.87 オーストラリア:シドニー
Aug.82 ギリシア:アテネ、コリントス、パトラス
イタリア:ブリンディシ、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ
スペイン:バルセロナ、グラナダ、コルドバ、セビーリャ、マドリッド
フランス:パリ、ストラスブール
ドイツ:ミュンヘン、フュッセン、ローテンブルグ、アウスブルグ、ベルリン、ハンブルグ、ケルン
Sep.82 ポーランド:ワルシャワ
オランダ:アムステルダム
ベルギー:ブリュッセル
イギリス:ロンドン、ケンブリッジ
エジプト・トルコの旅 -14日目、最終日- ― 2012/10/02 15:54
昨夜、イスタンブールからギザのホテルに到着し、当日はピラミッド見学他。
いよいよ観光は最終日。

ギザの3大ピラミッド。旅も最終日近くともなると、もうすっかり仲間。
大学生もノリノリ?

おやじもノリノリ!
3大ピラミットの中で一番大きいクフ王のピラミッド。
内部を見学し、
スフィンクスへ。バックはカフラー王のピラミッド。
物売りがしつこく、女子にもちょっかいを出すし、落ち着いて観光できないし、雰囲気は最悪。貧しさ故か?がっかり!。
昼食後、メンフェィス、サッカラ、ダハシュールのピラミッドや遺跡を観光。

古王国時代の首都メンフィス。ラムセス2世の巨像が横たわる。
エジプトよ目覚めよ!
車窓より、

町は決してきれいでなく、貧困層も多い。政変後の進化に期待!
一度はピラミッドを見ておく必要はあったが、なんだか、素敵だったトルコの旅が遠い昔のことのように感じた。文化も歴史も民族も全て違うし、シフトチェンジの必要がそう思わせたのだと思う。
まっすぐ、帰国した方がトルコの楽しいイメージをそのまま持ち帰ることができたかも!

意外にギザのピラミッドは町の側。
夕食後、空港へ、そして帰国の途へ。
15日目。最終日。
帰りは少し短く12時間程の行程で成田空港に到着。
到着後、全体の挨拶も無いまま、各自荷物受け取りのターンテーブルで解散。
ともに旅したツアーメンバーとも名残惜しかったですが、
所詮、各人各様の参加での集まりとしてのツアー。
とはいえ、「皆さんのおかげで楽しいツアーとなりました。」と個別にご挨拶をし、連絡先などお渡しし(旅の間は失礼もあるかと、適度な距離をと、ほとんどの方に名も語らず聞かずでしたが?)帰路へ。
後日、連絡をいただいた方と写真などを交換したり、打ち上げ?をしたり、、
本ブログを見ていただいたりと、何となく旅の余韻を残しながら、、、?
個人参加で不安はありましたが、素敵なツアーメンバーの皆さんのお影で、楽しい旅ができました!ありがとうございました!
いつかまた皆でお会いできれば良いですね!。
終わり。
トルコの旅 -13日目- ― 2012/10/01 23:45
いよいよトルコ最終日。
名残惜しさが残りつつ、、、早起きし、、、またまたガラタ橋へ、、、ここが起点。

通勤客で一杯の定期船。
懲りずにまたまた、対岸アジア側へのクルーズ!??
どこからも目立つ、(ガラタ橋上)丘の上のモスク、スュレイマニエ・ジャーミィ。
誰もが、これがトルコを代表するブルーモスクと思っているようで?
確かに象徴的で、存在感がある。

旧市街地に戻り、先に気になっていた皮のロングコート。
グランドバザールに行き、交渉。
現在所有のマトリックスバージョンのコートは10年程前にウイーンで買ったもの、そろそろ痛みが激しく次を狙っていたし。
皮だし、夏だし、バーゲンだし!ラストトルコdayだし!、仕切りの現金しか持って行かなかったし!、半値程に値切り、入手。納得の買い物。

ホテルに戻り皆と合流し、新市街地周辺の市内観光へ。
新市街地のシンボル、ガラタ塔。

エレベーターで展望台へ。なんと楽なことか。
新市街地と言っても、しっかりと中世の街並の様相がある。
赤煉瓦の屋根がイタリアっぽい街並。

やっと6本のミナーレが確認できたブルーモスク。

新市街地の目抜き通りイスティクラール通り。銀座みたいなもの。
ルネッサンス様式や、ビザンチン様式の建物が街並を演出。
そして夕方に空港へ。

中央は現地ガイドのムラットさん。適宜適切な説明と案内。説明の端々にトルコを愛しているんだと感じました。そして、日本への親愛もよ!
時々、説明を聞かないツアー客に「イラット」し、宗教も民族も「フラット」な考え方、こよなく妻を愛するムラットさん。
12日間も一緒にいると、こちらも親愛が!です。
ありがとうございました。
そして、18時半頃に名残惜しきトルコを後にカイロへ
トルコの旅 -12日目- ― 2012/09/30 23:59
さてさ当日は午前中が自由時間。
朝食をすませ、朝7時頃にホテルを出立。
ガラタ橋へは地下鉄、トマムを乗り継ぎ30分から45分程度。
メンバーの一部は本日のオプション「ボスフォラス海峡クルーズ」8000円
ヨーロッパサイドからアジアサイドへのボスフォラス海峡を渡る定期船は片道80円
100回乗れますね?
てなことで、ガラタ橋脇の桟橋からアジアサイドのユスキュダルへ20分程度。
そこからバスで「ボスフォラス海峡の真珠」と言われている町、クズグンジュクへ。
と思いきや、バスのチケット売り場が開いてなく、バスの運ちゃんに聞くと、
「ちょっと待て」と、しばらくして、運ちゃんがバスへ乗り込み、「乗れと」、
到着し。運賃を払おうとすると、「いらない」と、と親切にしていただきました。

海からは素敵な町でも、内側からは普通の町でした。
歩いてユスキュダルへ戻り、町散策。

丘の町で街並に変化があり楽しめましたが、伝統的な木造家屋は探して見つかる程度でした。残念!
浜へ降り、乙女の塔。18才の王の愛娘が毒蛇に噛まれ命を落とした伝説の場所だが今はレストランやバーがある。対岸はヨーロッパサイドの新市街地。

ホテルに戻り、昼食のトルコ料理ドネルケバブを食べ、トプカプ宮殿へ。
宝物などを見たのですが、とあえず、ハマムを見学。
絢爛豪華な建築で、江戸時代の大奥みたいなもの?

そして、トルコで一番有名なブルーモスク。スルタンアフメット・ジャーミィ。
ミナーレ=塔が6本あるようだがなかなか確認できない!

イスラム建築というとモザイクタイルが多用されているかと思いきや、ほとんど無く。本ブルーモスクの中層部分にあるのが、きわめて珍しかった。
その2万枚のイズニックタイルが青を基調としていたため「ブルーモスク」と言われている。確かに。
ドームの構成、フレコ絵の装飾、タイルと確かにトルコを象徴するモスクだが。?

隣のアヤソフィアはギリシャ聖教の本山。であったが、現在は博物館。
歴史を経て、数々の改装を経て、修復も素人並みにいい加減で、異様な大きさのイスラムの8?聖人を象徴した円盤が!
ビザンチン建築の傑作だが!”!”?””

近くの地下宮殿。とはいえ地下貯水槽ですが?!
ツアーには組み込まれて無かったのだが、自由時間にしてもらい見学。
後輩からも「一番空間としてはすばらしかった。」と、アドバイスをもらっており、期待していた次第で、、、
床には水がはられ、コリント式の柱頭の柱の林立、照明の映り込み効果で神秘的な空間を演出。歴史価値より空間価値のある場所。
事前に夕食キャンセルを申し出て、ここから、ふけて個人行動!
ガラタ橋に戻り、名物サバサンドを!

普通の焼きサバをパンに挟んでいるだけなのだが、意外においしい!トルコ料理で一番口にあったかも?””
添乗員曰く「おなかこわしても知らない!」と、「そんなの関係ない」と!
そして,夕暮れのディナークルージング?へ

サバサンドとビール片手に、、、定期船にて、、、

アジアサイドのカドゥキョイへ、庶民的ですが、青山、原宿のようなおしゃれな町。
いつも、シャッターチャンスの夕暮れ時は夕食時。
この日ばかりと、アジアンサイドからヨーロッパサイドを臨む。
1時間半くらいはいたでしょうか?
今回の旅のベストショット!!!
対岸にアヤソフィア、ブルーモスクが見える。
トルコ人の平和主義的なバランス感覚はアジアとヨーロッパの間ということ、色んな隣国に接していること、歴史、宗教の翻弄、など、、、、でしょうが
対岸から見る見られるの地形。ましてヨーロッパサイドの旧市街地、新市街地。アジアサイドと、
個岸と彼岸の関係が他と個の関係性を確認することができるのかとも?
そんなことを思いつつ、ケバブサンドとワインボトル片手に再度、安上がりのディナークルーズへ、、、
つづく
トルコの旅 -11日目- ― 2012/09/25 00:00
旅も後半に、10日間は長そうであっという間。もうか、まだか?
いよいよ旅本番の盛り上がりか?
アンカラから450km、約7時間。イスタンブールへ到着。
アジアサイドからボスポラス大橋を通りヨーロッパサイドへ。
ボスポラス海峡、正面奥は石川島播磨施工の吊橋。
ボスポラス大橋はかつては自殺の名所。現在は歩者禁止。

遅い昼食をオリエントエクスプレス終着駅スィルケジ駅にて。

観光の拠点、ガラタ橋側のイェニ・ジャーミィ。

1663年完成。大小のドームの重なりがバランスがとれて美しい。

その側のエジプシャンバザール。かつては香辛料市場。今はなんでも。ともかく観光客が多く閉口。
グランドバザール。中東最大ともいわれる屋根のかかった市場。400m四方程度の町にスッポリと屋根をかけたようなもの。小さなお店、各種のお店が無数に集まり、活気がある。ちょっと気になった皮のロングコートを発見したが?””時間ないし、、、、

初日と同じホテルに戻りチェックイン。夕食は中華レストランへ。
また、ホテルに戻る。時間ロスがお多い団体旅行だが,,,すぐに地下鉄、トラムを乗り継ぎガラタ橋へ。
9時過ぎなのに活気あるし。

橋の上では釣りしてるし、豆アジが結構つれてるし、下のレストランの海より座っていると、目の前にカーテンのように糸レースのような釣り糸が下がっているし、目の前を魚が上がって行くし、おそらく世界でもここだけの光景。
夜景もきれいで、正面は高台のスュレイマニエ・ジャーミィ。

「トルコ人は親日的。」と言われます。明治時代に和歌山県の串本沖にてトルコ軍艦が難破し、串本の村民が60数名を助けたということがトルコの教科書にて教えられているようです。
義理堅いトルコ人は、湾岸戦争?の時イラクに取り残された日本人。他国は既に救出の飛行機を、日本は日航だって飛ばず。日本からの要請も無い中でトルコ政府の指示のもとトルコ航空機にて日本人を救出。 とっても良い話です。
そして、トルコ人からよく「日本人か?」と聞かれ、「写真を撮ってくれ」と、親しさの表現の一つだそうです。
同じシチュエーション、17歳のカップル。この後、「彼女と一緒に写ってくれ」と。
良い思いで写真ができました。

そして、ガラタ橋の下のパブにてイスタンブールの夜は更けて行ったのです。
つづく
トルコの旅 -10日目- ― 2012/09/24 17:44
アンカラから220km、今回一番の期待の町「サフランボル」へ
町並みが世界遺産。いわゆる日本で言う伝統的建造物保存地域。
14世紀〜17世紀のシルクロードの通過点であった商都。ハーフティンバーの木造家屋が多く残され、今なお人々が暮らしている。
サフランの花が群生したので名付けられた小都。
ブドゥルルックの丘から旧市街地を臨む。モスクやハマム、旧隊商宿も見える。

ガイドさんにお願いし、1時間半の自由行動の時間を取ってもらい。得意の町歩き。
表通りの街並も趣があるが?

やはり。路地!
人気も比較的少なく、さらに赴きある空間。
同ツアー客のアベックとすれ違ったが、、、、お似合いよ!

モスク前のゲートにて、礼拝の時間前。絵になる。

ブドウ棚の木漏れ日の中の露天商。確かに涼しい。

路地を抜けると、レストランも。南イタリアの雰囲気のある空間。

各所に水飲み場も。礼拝の前はもとより、手足を頻繁に洗うイスラム教徒、トルコ人。

全体的に統一されたイメージの街並だが、伝統家屋も個々の個性を発揮しつつも嫌み無く街並に馴染む。
想定どおりに素敵な街並。
昨年に友人が行った同旅行社でのツアーでは、サフランボル泊だったそうです。
本日、アンカラへの復路220km。なんと無駄なことか。
明日のイスタンブールへの途中にも関わらず!!!
この理不尽さ、添乗員さんに聞くと
「ホテルが汚い、床が傾いている、観音開きの扉や窓が棺桶のようで嫌。」等とのお客さんの意見があり、最近は宿泊してないとのこと。
「何と不条理な前お客!!、郷に入れば郷に従え!、伝統民家に泊まるのに当然のこと!!、それが旅ってもんだ!!、何も分かってねー!!!」と、同ツアー大半の客の声!!
「何が棺桶の扉が嫌だ?、いずれ入るし、もう既に片足を突っ込んでいるだろう!!!」
と、
町が素敵だった反動としてその怒りは前客へ、、、、!!!!
皆でサフランボル泊の提言意見をアンケートに書こうということで、、、社が方針転換してくれれば良いのだが。
そして、220km、アンカラへ戻る。残念!

町歩きも不十分!旅心は無念さ!夕食を早めに上げ、アンカラ城へ
夜景がきれいだということで。
電車にて近くの駅まで、そこから1.5km程でアンカラ城。
近づくと目の前に急峻な階段。思ったより山の上の方。
工事箇所が多く、足下も不安。照明もほとんどなく暗いし、暑いし、息は切れるし、誰もいないし、野良犬は一杯いるし。
野良犬とは、しばし対峙しにらみ合い!ここで旅を終えるわけにはいかない!昼間の反骨精神か? バイオハザードのミラ・ジョボビッチほどの気合いの入れよう!
いざとなれば、かかってこいと!、、、少しづつ後ずさり、なんとか緊張関係緩和。

城内は伝統的な民家、古い家屋が多く、今なお生活している。
気楽に挨拶してくれるし、道も教えてくれたり写真を撮らせてもらったり、夜の町歩きも捨てたものではない。
城を下ると再開発景観保全地区。
保全?ほとんどスラムクリアランスだが!

若者人気のこぎれいな街並。原宿のようだった。
昨夜のパブにて、ツアーメンバーと合流。夜はまだまだこれからよ!!!?でした。
トルコの旅 -9日目- ― 2012/09/21 13:21
カッパドキアは連泊。ホテルはヒルトン系、観光地とは離れているが昨年完成のきれいなホテル。
昨日散策のアヴァノスに近く、裏山には農家としての洞窟住居、さらに奥にはミニカッパドキア群ががあり、散策コースとなっている。

早起きし農村部を散策。右は村の集会所。
9時頃トルコの中央部のボアズカレへ 240km!

ヤズルカヤ(碑文のある岩場)遺跡、紀元前13世紀頃。
みんなまじめに見ているが,早く首都アンカラに行きたいFでした。

ハットゥシャシュ遺跡。ヒッタイト古王国の首都。紀元前18世紀頃。
左はレプリカ、本物は博物館ゆき。ライオンの門。
基礎跡、遺構が都市の大きさを物語っている。一応、世界遺産。
ボアズカレから210km、やっと首都アンカラへ
そそくさと夕食を済ませ、アンカラの町を散策。
ホテルは国会議事堂そばで、中心駅クズライ駅にも比較的近い。
駅までの道のり大通りから1本内側はパブ、レストランが目白押し。
店前テラスは、地元曲のライブハウス。音楽は分からないが雰囲気、雰囲気。
水タバコを吸う客も。
やはり都市や町が自由が利いて楽しい。
トルコの旅 -8日目- ― 2012/09/21 10:46
さてさて旅も折り返し日、
もうそろそろ遺跡や自然に飽きてきたところ。
観光から旅へのターニングポイント。
午前中は自由時間。オプションのギョレメ博物館観光に参加する人、ホテルのプールでバカンスの人でしたが、
近くに町があると知るや、いつもの自由旅行の旅心が、、、
ホテルから徒歩15分程の陶器の町、アヴァノスへ。
観光地としてはB級ですが、地元の観光客も多く、リーズナブルなペンションも多くある。
町のすぐそばを流れるトルコ最長の川、クズル川。トルコ語で赤い川と呼ばれ、川底の粘土質の土を使っての焼き物が有名。決して赤い川でなく、穏やかな流れのきれいな川でした。アヒルや鴨が水面に浮かび落ち着いた光景をなしてました。

旅は歩いてなんぼ。歩く程に発見や感動の空間が目の前に展開されます。

やっと旅にきた気分。前半はツアーメンバーとの観光も楽しかったですが、そろそろシフトチェンジ。

陶器の店も多く、こぎれいな町で店先も陶器でディスプレイ。

トンネルがあったり、ちょっとおしゃれに演出。

焼き物でファサードも演出。
丘の上に上がるとアヴァノスの町、クズル川、遠くにカッパドキアも一望できます。
しかしながら丘の上、墓地辺りは野良犬が多く、女子には少し危険かも?
4時間程の散策を終えホテルに戻り、バスにて洞窟レストランへ、それが先ほど歩いたアヴァノスでした!”” 食後にカッパドキア観光やゼミ渓谷ハイキングなど。

今日はいきなり歩き過ぎ、少々疲れ気味。
後ろのラクダの石を模してのポーズ。元気だね若者は!
つづく
トルコの旅 -7日目- ― 2012/09/20 23:41
7日目
コンヤを出発し215kmの行程。中盤のメイン、カッパドキアへ。

ギョレメ・パノラマ。絶景ポイントだが、もうすっかりカッパドキア?””観光気分!””
右手前の渓谷には、多くの穴があいている。岩盤を掘った鳩の家と言われている鳩の巣。鳩の糞を集め、ブド畑の肥料として使っていたそうだ。
遠方中央はオルタヒサル?
奇岩の要塞。映画ラピュタの天空都市のモデルとなった。
スケール感とボリューム感は圧巻。自然と人工の見事な調和。

昼食は洞窟レストランで、若者たちと、、、
もう旅も中盤。ほとんど38名の方ともお話をし、打ち解けた雰囲気。
カイマクル地下都市を見学し
ウチヒサールへ 鳩の家が芸術的造形をなしている。

趣のある洞窟住居入口。鳩の家の穴もあいている。

上の写真の住居とは違うが。洞窟住居を訪問。少しひんやり。チャイ(紅茶)をごちそうになり、洞窟住居の生活気分を味わう。
壮大なスケール。見渡す限りがカッパドキア!
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