トルコの旅 -11日目-2012/09/25 00:00

旅も後半に、10日間は長そうであっという間。もうか、まだか?
いよいよ旅本番の盛り上がりか?

アンカラから450km、約7時間。イスタンブールへ到着。
ボルポラス海峡
アジアサイドからボスポラス大橋を通りヨーロッパサイドへ。
ボスポラス海峡、正面奥は石川島播磨施工の吊橋。
ボスポラス大橋はかつては自殺の名所。現在は歩者禁止。
スィルケジ駅
遅い昼食をオリエントエクスプレス終着駅スィルケジ駅にて。
イェニ・ジャーミィ
観光の拠点、ガラタ橋側のイェニ・ジャーミィ。
イェニ・ジャーミィドーム天井
1663年完成。大小のドームの重なりがバランスがとれて美しい。
エジプシャンバザール
その側のエジプシャンバザール。かつては香辛料市場。今はなんでも。ともかく観光客が多く閉口。
グランドバザール
グランドバザール。中東最大ともいわれる屋根のかかった市場。400m四方程度の町にスッポリと屋根をかけたようなもの。小さなお店、各種のお店が無数に集まり、活気がある。ちょっと気になった皮のロングコートを発見したが?””時間ないし、、、、
夜のガラタ橋
初日と同じホテルに戻りチェックイン。夕食は中華レストランへ。
また、ホテルに戻る。時間ロスがお多い団体旅行だが,,,すぐに地下鉄、トラムを乗り継ぎガラタ橋へ。
9時過ぎなのに活気あるし。
ガラタ橋での釣り」
橋の上では釣りしてるし、豆アジが結構つれてるし、下のレストランの海より座っていると、目の前にカーテンのように糸レースのような釣り糸が下がっているし、目の前を魚が上がって行くし、おそらく世界でもここだけの光景。
夜景もきれいで、正面は高台のスュレイマニエ・ジャーミィ。
トルコのアベック
「トルコ人は親日的。」と言われます。明治時代に和歌山県の串本沖にてトルコ軍艦が難破し、串本の村民が60数名を助けたということがトルコの教科書にて教えられているようです。
義理堅いトルコ人は、湾岸戦争?の時イラクに取り残された日本人。他国は既に救出の飛行機を、日本は日航だって飛ばず。日本からの要請も無い中でトルコ政府の指示のもとトルコ航空機にて日本人を救出。 とっても良い話です。
そして、トルコ人からよく「日本人か?」と聞かれ、「写真を撮ってくれ」と、親しさの表現の一つだそうです。
同じシチュエーション、17歳のカップル。この後、「彼女と一緒に写ってくれ」と。
良い思いで写真ができました。
ガラタ橋下のパブ
そして、ガラタ橋の下のパブにてイスタンブールの夜は更けて行ったのです。

つづく

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