エジプト・トルコの旅 -初日、2日目- ― 2012/09/17 11:27
先月にエジプト・トルコの旅に行ってきました。
いつもは自由旅行の旅ですが、今回は準備時間もなく、一度はトルコの主な観光地も見てみたいということあり、ツアー参加としました。
友人からは「団体行動に向かないF」と言われつつ、本人も納得。不安を感じつつ、、、
治安も決してよくない地域のため、大手旅行社・阪急交通社の
「15日間のエジプト・トルコ大周遊モニターツアー」でした。
たまたまサイト裏の情報でリーズナブルな旅ができました。
参加者は38名。15日間、夏休みということもあり学生さんが1/3、定年組が1/3、その間の年齢層が1/3程でした。
さて初日、成田空港21時20分発のエジプト航空での直行便でのフライトでした。
14時間程のロングフライト。
両隣は同じツアーの一人旅の女性でした。緊張しつつも「長い旅なのでよろしく!」と挨拶を交わしました。それぞれの旅のスタンス、目的もおありでしょうから、プライベートには深く触れず旅情報などの適度な会話にて、、、でしたが?
エジプト航空は機内での酒類のサービス、販売がないため、事前にオールドパーを購入し持ち込み。お隣さんも行ける口のようでしたので食事時に一献お勧めしたのですが???
蓋を開けてお接ぎしたのですが、出ません!
振ったり、キャップを再度嵌め逆回しや「トリックに違いないと!」金庫鍵の解除方法など色々試しましたが開かず?
購入時に説明もなく、説明書も無く、焦る次第で、、、割り箸でも差し込んで中蓋を壊そうかとも!
15分は経過したでしょうか?
客室乗務員さんに聞いても「よくわかりませんが、以前にもそんなお客さんがおられました。逆さにして振ってたようでした。」と、
同じく色々試してみると、ちびちびと、出たり出なかったりしながらも、なんとか一献
、、、ホ、、、
カッコつけても決まらないFでした。
同ツアーの他のお客さんも同じ状況で、苦戦中。開蓋方法を伝授しました。
今考えれば、機内の圧力差での吹きこぼれ防止のフィルターのせいで、振ったりすることで気圧差を解消すれば良かったのですね!”” オールドパーに限らずでした。

2日目
そんなこんなで、熟睡しようにも中途半端で、時差7時間でエジプト5時頃着。
バスにてカイロ市内へ。
「イスラムの国なので食用のハトを屋上で飼っている。」とか、
「建物は完成すると税金を払わなければならないので、未完で入居している。」とか、
(確かに、ほとんどの建物上部に配筋がむき出しです。)
地元ガイドさんの話を聞きながら、、、
高台のシダル(城塞)に立寄り市内を俯瞰。
全体的にホコリっぽく、土色の建物も多く、思ったより淀んだ印象の町。
エジプトから始まった「アラブの春」
そのデモ活動の中心地でもあったタハリール広場からエジプト考古学博物館(ピンクの建物)を臨む。
独裁政権からの脱却。ムバーラク前大統領の失墜。考古学博物館後ろの建物は政権を奪取した野党の建物。焼失の後がその状況、エネルギーを感じます。現況保存する声も上がっているようです。
考古学博物館の見学よりリアルでした。
(ツタンカーメンの秘宝も見ましたが、、、)
そして、午後空路にてトルコ、イスタンブールへ2時間半程度の所要時間。
夜、19時頃イスタンブールのホテル到着。
観光より「旅」。旅心がかき立てられ、ツアー仲間を誘い町散策へ
ホテルはやや中心市街地から離れたトプカプ駅前。
テオドシウスの城壁に沿って丘をあがるとミフリマー・スルタン・ジャーミィ。イスラムのモスクです。
トルコの偉大な建築家ミマール・スィナンの設計。1565年完成。
設計者が密かに慕っていた大帝の愛娘ミフリマー・スルタンに捧げるために造った建物。
やはり建築家はロマンチストか?””
いや食い気も!?夕食が早かったのでモスク前の地元客しかいない食堂でケバブーなどの地元料理を、、、おいしかったし、親切にも、サービスもしていただいたのですが、何せ言葉がわからず失礼しました。

ガイドブックによるとモスクの入場は日没まで、また礼拝時入場不可でしたが、関係者に聞いてみるとOKしてくれました。おまけに写真もOK。
初モスク。他の観光客もいない貸し切り状態。まして落ち着いた日没後。
馬蹄形のアーチの巧みな構成、包み込むおおらかなドームが清楚で品のある落ち着いた空間を形成していました。
つづく
トルコの旅 -3日目- ― 2012/09/17 23:17
3日目
朝7時半にイスタンブールをツアーバスにてギリシャ、ブルガリアの国境の地エディルネに出立。230kmの3時間半程の距離。

3食、昼寝付き?(移動時間)なんと楽なツアー。
一応、車窓からの町の風景などを観察しながら、隣席のツアーメンバーとも会話しながらでしたけど、、、、昼食から、チキン料理にラク酒、ワイン、、、気楽な観光客に?””
「郷に入れば郷に従え」≒「トルコですから?」

旅は道連れ、でしたけど?
食後、炎天下の中、千鳥足の市内観光?(本当はしっかりしてましたけど!本人見解)
エディルネは最近10番目に世界遺産となった町。
トルコ随一に美しい堂々たるセリミエ・ジャーミィ。緑との調和は確かに。
これもミマール・スィナンの作品。
80歳になっての作。イスタンブールのアヤソフィアを超えるドームを実現。
やはりキリスト教会を意識してですかね?
この地のバラ園経営の地主が土地をなかなか売らず、高値にて売買。
そこが気に入らなかった建築家は柱に逆さまのバラのレリーフを。
気持ちは分かる!!!幾つになってもですかね???
絨毯のような繊細なフレコ画のドーム天井。
そこから10分程度移動したところにあるユチュ・シェレフェリ・ジャーミィのドーム天井装飾。
それぞれ、皆違うし、、、

1時間半の市内観光を終え、(ほとんど移動だが?”””)
ヨーロッパサイドからアジアサイドへ、ダーダネルス海峡をフェリーで、
当日誕生日の大学生。次女と同じ年!!”” 複雑な心境?
エーゲ海に面するチャナッカレのホテルに18時頃到着。

食事前にホテル前の海岸を散歩。
エーゲ海のそよ風が心地よく。ツアーの大学生も気分爽快?
夕食後、一部メンバー女子はハマムにてエステ。私はプールにて一泳ぎ。
ほとんどリゾート気分!?””
トルコの旅 -4日目- ― 2012/09/18 12:27
4日目
日常ではあり得ない早起きで、ホテル前の海岸沿いを散歩。

バスにて30分程で世界遺産のトロイの遺跡へ

まだまだ発掘中で全貌は未知の遺跡。
最初は紀元前3000年頃に町ができ、エーゲ海の交易の地として栄えては滅び、(人的や震災により)崩壊してはその上にまた町を再建し、9層もの痕跡が発見されている。
海岸沿いにあった町も現在は海岸線も数キロ先に。
歴史的には重要な遺跡ですが、がれきの山?
少々、遺跡には飽きてきたところです。

映画でもおなじみのトロイの木馬。
フィクションで小説からの話。モチーフは紀元前1200年頃のトロイ戦争。
偽物でも観光客にはわかりやすい被写体。ですがね?””
トロイから200km、ベルガマへ移動。
アスクレピオン遺跡。紀元年前後の古代の総合医療センター。
診療所や図書館、劇場など、ほとんどギリシャの遺跡。
当然か! 「エーゲ海ですもの。」
そばの岡の上にはまさにアテナ神殿などのあるアクロポリスの遺跡群があります。
遺跡円形劇場の舞台で、明日のエフェソス遺跡で合唱を披露するための予行練習。
添乗員さんにもおだてられ?失礼。雰囲気を盛り上げられつつ、、、皆さんもその気に?
ほんとにやるのかよ!?、、、と、、、観客係、写真係に。
ツアーフルメンバーの唯一の写真か?
エーゲ海沿いを205km、クダシャスへ

エーゲ海沿いのホテルには18時前頃到着したので、
夕食前にとりあえず、「エーゲ海で泳がねば!」と、
夕暮れの海へ、深いし、暗いし、水は澄んでないし、冷たいし、ゴミも浮いてるし、
一応、エーゲ海で泳いだということで!
夕食はホテルの海に臨んだテラスレストラン。
夕焼けや夕暮れの風景は,エーゲ海の真珠のネックレス?でしたが。
情緒より食い気のツアー仲間も?いたかな??
それぞれの旅ですもの!。
つづく
トルコの旅 -5日目- ― 2012/09/20 00:10
5日目
昨夜のエーゲ海は淀んだ印象。失礼!”” 今朝はイメージどおりのエーゲ海。
ホテル前のプライベートビーチ。コバルトブルーの海。昨夜の海のイメージチェンジ!
9時半頃出発しクシャダス市内のギュウェルジン島へ
トルコ有数のリゾート地。エメラルドグリーンの海。
島は陸続きで14世紀の要塞がある。

いつもは、あまり記念写真などとらないF。
ツアーメンバーさんと。ちょっと緊張気味?””
常套の革製品のお店に寄り、唯一自分へのご褒美としての皮のジャケット入手。
その後、世界遺産エフェソス遺跡へ。

世界屈指の古代ギリシャ遺跡。道、排水設備、図書館、劇場、トイレ、売春宿と保存状態の良い遺跡。遺跡はここだけ見れば十分かも?
「図書館と売春宿が地下通路で繋がっていた。」と現地ガイドさん。
「図書館に行ってくる。」と、、、、?

添乗員さんに乗せられいよいよ世界遺産の円形劇場で「虎のパンツ」の合唱披露。
旅の恥はかき捨て!!
外国人にはうけたかも!?!?
5日目、ツアーメンバーに少し仲間意識も?かな?
その後、アルテミス神殿を経由し内陸部パムッカレへ
ホテルの温泉とプール。
奥が壇上のパムッカレ風の天然温泉。泥湯がきめ細かく。多分ナイスパック?。
夕食後、皆と混浴?”” 水着着用ですよ!!!

その後、プールサイドでベリーダンスショー。
旅の恥はかき捨てか?””
トルコの旅 -6日目- ― 2012/09/20 17:29
6日目
パムッカレは「綿の城」の意味。真っ白な石灰棚が綿に似ているのでついた訳ではなく、綿の産地だったそうです。
まるで、雪山? 石灰岩の棚は外部鍾乳洞。
温泉が流れており足湯をしながらの散策。
山全体が石灰棚。そのスケールは圧巻!
棚田のように、温泉棚が折り重なっている。
丘の斜面は石灰棚。その丘の上は古代都市ヒエラポリス遺跡。この二つが世界遺産。
古代遺跡が沈むパムッカレ温泉プール。
太陽を求めてのロシア人観光客が多い。
朝方1時間程のパムッカレ観光の後、410km先のコンヤへ。
夕方、コンヤへ到着。
インジェ(細かい)・ミナーレ。コンヤを代表する繊細な装飾に彩られた建築。
入場料がいることを知らず中へ、すいません! 注意されたのですがどさくさにまぎれ写真も。
ドームの繊細な装飾が美しかったです。

イスラーム神秘主義の一派、メビラーナ博物館。
比較的マイナーな観光地のため地元の観光客が多い。

結婚式も。すてきなトルコの花嫁。
まだ、まだ、旅の中盤?”” つづく
トルコの旅 -7日目- ― 2012/09/20 23:41
7日目
コンヤを出発し215kmの行程。中盤のメイン、カッパドキアへ。

ギョレメ・パノラマ。絶景ポイントだが、もうすっかりカッパドキア?””観光気分!””
右手前の渓谷には、多くの穴があいている。岩盤を掘った鳩の家と言われている鳩の巣。鳩の糞を集め、ブド畑の肥料として使っていたそうだ。
遠方中央はオルタヒサル?
奇岩の要塞。映画ラピュタの天空都市のモデルとなった。
スケール感とボリューム感は圧巻。自然と人工の見事な調和。

昼食は洞窟レストランで、若者たちと、、、
もう旅も中盤。ほとんど38名の方ともお話をし、打ち解けた雰囲気。
カイマクル地下都市を見学し
ウチヒサールへ 鳩の家が芸術的造形をなしている。

趣のある洞窟住居入口。鳩の家の穴もあいている。

上の写真の住居とは違うが。洞窟住居を訪問。少しひんやり。チャイ(紅茶)をごちそうになり、洞窟住居の生活気分を味わう。
壮大なスケール。見渡す限りがカッパドキア!
トルコの旅 -8日目- ― 2012/09/21 10:46
さてさて旅も折り返し日、
もうそろそろ遺跡や自然に飽きてきたところ。
観光から旅へのターニングポイント。
午前中は自由時間。オプションのギョレメ博物館観光に参加する人、ホテルのプールでバカンスの人でしたが、
近くに町があると知るや、いつもの自由旅行の旅心が、、、
ホテルから徒歩15分程の陶器の町、アヴァノスへ。
観光地としてはB級ですが、地元の観光客も多く、リーズナブルなペンションも多くある。
町のすぐそばを流れるトルコ最長の川、クズル川。トルコ語で赤い川と呼ばれ、川底の粘土質の土を使っての焼き物が有名。決して赤い川でなく、穏やかな流れのきれいな川でした。アヒルや鴨が水面に浮かび落ち着いた光景をなしてました。

旅は歩いてなんぼ。歩く程に発見や感動の空間が目の前に展開されます。

やっと旅にきた気分。前半はツアーメンバーとの観光も楽しかったですが、そろそろシフトチェンジ。

陶器の店も多く、こぎれいな町で店先も陶器でディスプレイ。

トンネルがあったり、ちょっとおしゃれに演出。

焼き物でファサードも演出。
丘の上に上がるとアヴァノスの町、クズル川、遠くにカッパドキアも一望できます。
しかしながら丘の上、墓地辺りは野良犬が多く、女子には少し危険かも?
4時間程の散策を終えホテルに戻り、バスにて洞窟レストランへ、それが先ほど歩いたアヴァノスでした!”” 食後にカッパドキア観光やゼミ渓谷ハイキングなど。

今日はいきなり歩き過ぎ、少々疲れ気味。
後ろのラクダの石を模してのポーズ。元気だね若者は!
つづく
トルコの旅 -9日目- ― 2012/09/21 13:21
カッパドキアは連泊。ホテルはヒルトン系、観光地とは離れているが昨年完成のきれいなホテル。
昨日散策のアヴァノスに近く、裏山には農家としての洞窟住居、さらに奥にはミニカッパドキア群ががあり、散策コースとなっている。

早起きし農村部を散策。右は村の集会所。
9時頃トルコの中央部のボアズカレへ 240km!

ヤズルカヤ(碑文のある岩場)遺跡、紀元前13世紀頃。
みんなまじめに見ているが,早く首都アンカラに行きたいFでした。

ハットゥシャシュ遺跡。ヒッタイト古王国の首都。紀元前18世紀頃。
左はレプリカ、本物は博物館ゆき。ライオンの門。
基礎跡、遺構が都市の大きさを物語っている。一応、世界遺産。
ボアズカレから210km、やっと首都アンカラへ
そそくさと夕食を済ませ、アンカラの町を散策。
ホテルは国会議事堂そばで、中心駅クズライ駅にも比較的近い。
駅までの道のり大通りから1本内側はパブ、レストランが目白押し。
店前テラスは、地元曲のライブハウス。音楽は分からないが雰囲気、雰囲気。
水タバコを吸う客も。
やはり都市や町が自由が利いて楽しい。
トルコの旅 -10日目- ― 2012/09/24 17:44
アンカラから220km、今回一番の期待の町「サフランボル」へ
町並みが世界遺産。いわゆる日本で言う伝統的建造物保存地域。
14世紀〜17世紀のシルクロードの通過点であった商都。ハーフティンバーの木造家屋が多く残され、今なお人々が暮らしている。
サフランの花が群生したので名付けられた小都。
ブドゥルルックの丘から旧市街地を臨む。モスクやハマム、旧隊商宿も見える。

ガイドさんにお願いし、1時間半の自由行動の時間を取ってもらい。得意の町歩き。
表通りの街並も趣があるが?

やはり。路地!
人気も比較的少なく、さらに赴きある空間。
同ツアー客のアベックとすれ違ったが、、、、お似合いよ!

モスク前のゲートにて、礼拝の時間前。絵になる。

ブドウ棚の木漏れ日の中の露天商。確かに涼しい。

路地を抜けると、レストランも。南イタリアの雰囲気のある空間。

各所に水飲み場も。礼拝の前はもとより、手足を頻繁に洗うイスラム教徒、トルコ人。

全体的に統一されたイメージの街並だが、伝統家屋も個々の個性を発揮しつつも嫌み無く街並に馴染む。
想定どおりに素敵な街並。
昨年に友人が行った同旅行社でのツアーでは、サフランボル泊だったそうです。
本日、アンカラへの復路220km。なんと無駄なことか。
明日のイスタンブールへの途中にも関わらず!!!
この理不尽さ、添乗員さんに聞くと
「ホテルが汚い、床が傾いている、観音開きの扉や窓が棺桶のようで嫌。」等とのお客さんの意見があり、最近は宿泊してないとのこと。
「何と不条理な前お客!!、郷に入れば郷に従え!、伝統民家に泊まるのに当然のこと!!、それが旅ってもんだ!!、何も分かってねー!!!」と、同ツアー大半の客の声!!
「何が棺桶の扉が嫌だ?、いずれ入るし、もう既に片足を突っ込んでいるだろう!!!」
と、
町が素敵だった反動としてその怒りは前客へ、、、、!!!!
皆でサフランボル泊の提言意見をアンケートに書こうということで、、、社が方針転換してくれれば良いのだが。
そして、220km、アンカラへ戻る。残念!

町歩きも不十分!旅心は無念さ!夕食を早めに上げ、アンカラ城へ
夜景がきれいだということで。
電車にて近くの駅まで、そこから1.5km程でアンカラ城。
近づくと目の前に急峻な階段。思ったより山の上の方。
工事箇所が多く、足下も不安。照明もほとんどなく暗いし、暑いし、息は切れるし、誰もいないし、野良犬は一杯いるし。
野良犬とは、しばし対峙しにらみ合い!ここで旅を終えるわけにはいかない!昼間の反骨精神か? バイオハザードのミラ・ジョボビッチほどの気合いの入れよう!
いざとなれば、かかってこいと!、、、少しづつ後ずさり、なんとか緊張関係緩和。

城内は伝統的な民家、古い家屋が多く、今なお生活している。
気楽に挨拶してくれるし、道も教えてくれたり写真を撮らせてもらったり、夜の町歩きも捨てたものではない。
城を下ると再開発景観保全地区。
保全?ほとんどスラムクリアランスだが!

若者人気のこぎれいな街並。原宿のようだった。
昨夜のパブにて、ツアーメンバーと合流。夜はまだまだこれからよ!!!?でした。
トルコの旅 -11日目- ― 2012/09/25 00:00
旅も後半に、10日間は長そうであっという間。もうか、まだか?
いよいよ旅本番の盛り上がりか?
アンカラから450km、約7時間。イスタンブールへ到着。
アジアサイドからボスポラス大橋を通りヨーロッパサイドへ。
ボスポラス海峡、正面奥は石川島播磨施工の吊橋。
ボスポラス大橋はかつては自殺の名所。現在は歩者禁止。

遅い昼食をオリエントエクスプレス終着駅スィルケジ駅にて。

観光の拠点、ガラタ橋側のイェニ・ジャーミィ。

1663年完成。大小のドームの重なりがバランスがとれて美しい。

その側のエジプシャンバザール。かつては香辛料市場。今はなんでも。ともかく観光客が多く閉口。
グランドバザール。中東最大ともいわれる屋根のかかった市場。400m四方程度の町にスッポリと屋根をかけたようなもの。小さなお店、各種のお店が無数に集まり、活気がある。ちょっと気になった皮のロングコートを発見したが?””時間ないし、、、、

初日と同じホテルに戻りチェックイン。夕食は中華レストランへ。
また、ホテルに戻る。時間ロスがお多い団体旅行だが,,,すぐに地下鉄、トラムを乗り継ぎガラタ橋へ。
9時過ぎなのに活気あるし。

橋の上では釣りしてるし、豆アジが結構つれてるし、下のレストランの海より座っていると、目の前にカーテンのように糸レースのような釣り糸が下がっているし、目の前を魚が上がって行くし、おそらく世界でもここだけの光景。
夜景もきれいで、正面は高台のスュレイマニエ・ジャーミィ。

「トルコ人は親日的。」と言われます。明治時代に和歌山県の串本沖にてトルコ軍艦が難破し、串本の村民が60数名を助けたということがトルコの教科書にて教えられているようです。
義理堅いトルコ人は、湾岸戦争?の時イラクに取り残された日本人。他国は既に救出の飛行機を、日本は日航だって飛ばず。日本からの要請も無い中でトルコ政府の指示のもとトルコ航空機にて日本人を救出。 とっても良い話です。
そして、トルコ人からよく「日本人か?」と聞かれ、「写真を撮ってくれ」と、親しさの表現の一つだそうです。
同じシチュエーション、17歳のカップル。この後、「彼女と一緒に写ってくれ」と。
良い思いで写真ができました。

そして、ガラタ橋の下のパブにてイスタンブールの夜は更けて行ったのです。
つづく
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